英語の勉強の仕方 塾・WHY
・我々は日常なにげなく話している日本語をどのようにして身につけて来たのだろうか。このことをよく考えてみる必要かある。なぜなら、もしその方法が明らかになれば、我々が英語をマスターしようとする際に、それを応用すれば良いからである。
・ところで我々は生まれてこの方、まるで空気でも吸うように持別な努力もせずに生活の中で自然に日本語を身につけてきた。人と会話をする時、ラジオを聞く時、新聞を読む時、我々は決して意識的に文法を利用したりしない。言葉は自分の意思や考え方や感情などを伝える道具として日常、自然に使われている。従って英語を身につける最善の方法は、英語が使われている生活環境の中に溶け込む事だと言うことになる。しかし我々が置かれている状況から見てこれは不可能に近い。native speakerと語り合う機会さえ殆どない有様なのだから。
・それではどんな方法で英語を学んだら良いのだろうか。我々が直面している大学入試の現状を考慮すると、次善の方法は「英文の文章構造を理解する為に、必要最小限の英文法を身につける」事である。上で述べたように、言葉は理屈によって覚えるべきものではないのだが、ある程度の「英文の成り立ち」を知らなければ、単語を数多く覚えて、それを並べるだけでは、英文の読み書きは出来るようにはならないからである。
・中学校で学んだように、英語の文章には、基本となる五つの文章構造(五文型)があり、これは動詞の種類が五つある事に由来する。どんな複雑な文でも、文法の力よってその文を分析してみると、殆んどの文章が五文型のうちのとれかになっている。一方各文型の英文に対応する日本語への訳し方は、ほぼ決まっている。
・そこで我々が練習しなければならない事は、次の2つになる。
1) 文章構造を理解する為に、動詞の文法(どの動詞が何文型の文を作るか)について、辞書を引くことによって学ぶ。次に主語、目的語、補語と修飾語句を見分けるための基本的な文法(WHYのテクストp.1~p.33で学ぶ)を習得することである。
2) 自分が読む文について、文法の力を駆使して、各文がどの文型に属するかを見分ける練習を積む。
・上の二つの事を十分にやり込んだら、次にやるべき事は、まとまった主題を持つ英文を数多く読むことである。その時に練習すべき事柄は次の3つになる。
3) 全文の内容をつかめるまで何回も読み(辞書をひかずに読むのが望ましい)一文一文の訳ではな<、内容を要約してノートする。必ずしも全文を訳す必要はない。いわゆる逐語訳(直訳とも言う)なるものは、単語の意味を日本語に変換している作業をやっているだけで、文章の内容を汲み取っていることにはならない。文章を読むというのは、その文の内容を理解することであるから、内容の理解が出来ていなければ、文章を読んだことにはならない。(以下の筒井氏の文にもある)
4) 次に大体の内容かつかめたら辞書をひき、あやふやな点を文法の力を利用してはっきりさせ、正確な要旨(この時も全文を訳したものでなくて良い)をノートする。
5) 読んだ英文に用いられている単語、熟語、構文をノートに整理しその都度、完全に覚える。この塾で3年間読む英文に出てくる単語をこつこつ覚えると約4,500語身に付く。
・大学受験で必要な単語の数は最低で3000語である。中学で習う単語の数は900語なので高校では約2000語を覚えなくてはならない。よ<単語や熟語のみをまとめた市販の本を、暗記している諸君がいるが、これは賢明な方法ではない。文章から取り出された単語や熟語は、言葉としての本質的な機能を失っており、それを記憶しても余り意味がない。極端な事を言えば、単語を何万個覚えてみても英文の読み書は出来ない。単語や熟語は文中にあって、はじめてその機能を果たすものであり、従って文章を読むことによって初めて、それらの正しい使い方が分るのである。それ故読んだ英文に出て来る単語や熟語を、その正しい使い方とともに覚えることが極めて大切なことになる。
・また英作文では、日本語と英語の文章構造が違う為に、まず英語で表現したい日本語を、文の内容を変えずに英文の構造にあった日本語に言い換える必要がある。この作業が英作文をする上で最も思考を必要とする部分である。その上で、主語、補語、目的語あるいは修飾語句を、文法の力を借りてどのような型で日本文の内容を表現するかを検討し、五文型の規則に従って、英文を作成する(詳しくはWHYの英作文の仕方についてのプリントに掲げてある)。単に英和辞典を引いて、日本語を該当する英語の単語に置き換えるだけでは、英文の内容を正確には表現できない。
いろいろな日本文を、この訓練の仕方で、繰り返し英語で表現する練習を、少なくとも3ヶ月くらい継続することよって、英作文の力をかなりのレベルまで向上させることが出来る。
・次に発音と会話の勉強は、筆者の経験(中1から6年間、1対1でアメリカ人教師から会話の指導を受けた)によると、native speakerと直接話す機会を出来るだけ多<持つか、または事情が許せばnative speakerに直接、会話の指導を受ける方が、日常会話に限れば、ラジオやテープによる学習よりも、上達は断然速い。これが不可能な場合には、CDの納められたアメリカやイギリスの映画を、最初は字幕付きで見て内容が頭に入ったら、字幕なしで、何度も見直すことによって、会話の仕方を覚える方法の実践的でよいと思う。映画の評論家は、この方法で会話力を磨いた人が多いと聞く。
〈英文読解について受験生諸君に-言〉 (英文学者:筒井正明氏による)
英文読解とは、読んで字のごとく「英文を読んで解すること」である。 ところが一般には、英文の「読」にばかりに重点がおかれ、「解」つまり「内容理解」の方をなおざりにする傾向があった。もちろん、「読」は大切なものであって、文法や構文の正確な理解と、時に応じてそれを利用する力が要求される。受験生だけでなく、およそ英文を読む者は、この「解」の要素を軽視していい筈がない。文法と構文を正確に身に付けていない者は、英文に対しても自分の狭い思考と感覚という主観的な気分でもって日本語訳を作成してい<。俗に言うセンスが良い者は、それでもある程度の読み込みが可能であり、なんとなく英文が読めた気分になってはいるが、構文が複雑になると、途端に破綻してしまう。私はこれを「ムード訳」と称して、厳に戒めている。だが、従来ややともすると英文読解は、この「読」の段階で終ってしまうことが多過ぎるのではだかろうか。単語を調べあるいは暗記し、文法や構文の力を利用して、なんとか日本語訳をでっち上げる。「君、その訳の意味はどういう事か説明してごらん」、と説明を求めると、「良く解りません」という答えが返ってくる。自分で訳文を作成していて、書いた本人がその意味を理解していないと言うのはなんともおかしな話であるし、私には無意味な言葉の語呂合わせをしているだけとしか思えない。極言すれば、青春の貴重な時間が、そういう無意味な言葉の語呂合わせに割かれているとしたら、大変な時間の浪費だろう。
では一体英語を勉強するとは、いかなる事なのだろうか。最近の入試を見ると長文化の傾向を強めながら、文章の内容を問う設問か増えてきている。そして文法事項や熟語、成句の丸暗記だけでなんとか所定の空白を埋めることか出来る問題は少なくなってきている。これはそれ自体、大変に好ましい傾向ではある。当たり前の事であるが、現代国語の問題のように、英語の問題においても文章の内容理解がますます重要視されるようになって来ている。英語は英文で書かれた「現国」であるから、入試においても単に文章の内容理解が重要である、という現実的なことだけでな<、そもそも英語の学習にいて、この内容理解が伴なわなかったら、英語を勉強する意味は、殆どなくなってしまう。
稀有の洞察力と思考力を持った作家が、そのあらん限りの力でもって、読者に文章を通して何かを訴え、語り、伝えようとしているのである。君達はこれまでの人生で培ったすべての感性と知力を総動員し、みずからの知的受信機でそのメッセージを受信してほしい。どうかその受信機が、単に英語の文法や構文に関する知識のみから成り立っているとは思わないで欲しい。君達が身に付けている全ての教養がそこで要求されているはずである。自分の体験と思考の全てを傾けて、英文の一つ一つを読み、理解し、考えてほしい。その訓練によって、入試の英語問題を解く為に必要な実力が醸造されるだけでなく、英語学習が君の青春にとって精神的な糧を提供することにもなる。
毎年出題される全国の大学の英語問題を眺めてみると、素晴らしい英文が多<出題されている。(中にはつまらない文章があることも事実だが)たとえ短くとも、それらの文章に触れ、素晴らしい未知の精神の気に包まれて、それ等を自ら精神の糧とすることかできたら、無味乾燥とされている、いわゆる「受験英語」も有意義な、知的刺激を与えるものとなってくるはずである。英文に向かう時、どうかこれまでの姿勢を改めてほしい。今後は、この文章の筆者は「自分に何を教え、何を物語り、何を伝えようとしているのか」そういう知的好奇心をもって英文に接して欲しい、加えて知的興奮を覚えて欲しい。それによって英語の学習が楽しくなるし、そうなれば英語に関する限り、「合格点を取るなんてことは、後からついてくることだ」と言っても過言ではないだろう。
受験生諸君の健闘を切に祈っている。 筒井正明 記す